心にひっかかるものを大切すること

2017.04.18

nom._.san

この世の中には色々なものが溢れ、僕たちは見たものを咀嚼せず忘れていく。数時間前に見たものを思い出せないことなんて日常的なことです。

けれど、多くの人が視覚の記憶から無意識に消していくものの中に、何か心にひっかかるものがあることを知っています。そんなひっかかりを人は記憶したり、文章にしたり、あるいは描いてみたりします。

では、僕たちはどうでしょうか。

あなたのひっかかりは、隣の人も同じでしょうか?

他人にとっては無意味であったり、理解されないかもしれません。あるいは、共感されるかもしれません。どちらにせよそのような事が意味がないことだと知っているはずです。

人は美しいものに惹かれます。一方でそうでないものに惹かれることも多々あるでしょう。道端に落ちている石ころさえでも、あなたにとって心揺さぶられるものに成りえるのです。

美しさとはなんでしょうか。

一般的に美しいと感じられるものは、多くの人にとってもそうでしょう。では、視覚的に美しいという印象以外のモノから感じる感覚はなんでしょうか。

日本には、「寂び」という言葉があります。

辞書によると、

「閑寂さのなかに、奥深いものや、豊かなものがおのずと感じられる美しさ」

「老いて枯れたものと、豊かで華麗なものという、相反する要素が一つの世界のなかで互いに引き合い、作用しあってその世界を活性化する。そのように活性化されて、動いてやまない心の働きから生ずる、二重構造体の美とされる」

と解釈されています。

僕たちが無意識に心ざわつく感覚のひとつには、「寂び」の感覚が根底にあるからかもしれません。

僕にとって、人はひっかかりに対する違和感であったり、あるいは必然性となります。

違和感はシュールとなり、必然性は同化となり心地よさになるのではないでしょうか。

最後に・・・

心にひっかかるものを撮る僕たちですが、時には撮らないのこともあります。

・If I like a moment, for me, personally, I don’t like to have the distraction of the camera.I just want to stay in it.

・撮らない時もある。その瞬間が僕にとって重要なら、カメラに邪魔されたくないんだ。ただじっとしてるだけだよ。

ある映画の中で語られる写真家の言葉です。撮らないこともまた、写真を撮るものとして大事なことではないかと思うのです。

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